全国障害者問題研究会兵庫支部主催の夏の学習会にオンラインで参加しました。
尊敬する白石正久先生の講演を拝聴しました。
白石先生のお話は、できれば月に1回くらいは伺って
実践へ向かう姿勢を確認したい、そんな気持ちさえあります。
尊敬などという言葉では表現できないほど、影響を受けた先生です。
今日の講演タイトルは「障害のある子どもの発達に学ぶ~子どもの心に聴きながら~」
でした。実は、これには裏話があるそうで、事務局からの最初の提案では
障害のある子どもの発達「を」学ぶ、だったそうです。
白石先生のご意向で、発達「に」学ぶ、に変更になったそうです。
発達を学ぶ、障害を学ぶ、特性を学ぶ、個性を考える、などなど、
最近はそのような話題が確かに多いですね。
しかし、私たちが障害のこと、発達のことを学ぶのは何のため?
兵庫支部の支部長である赤木先生が、きっとそこには
「私たち自身のまなざしの問い直し」という意味が含まれている、
とお話しされていました。その通りだと思いました。
そして私たちもまた、子どもと同じようにあこがれを持った一人の人間として
周りとのつながりを強めつつ、発達の矛盾を乗り越えていこうとする存在であるから
できればそれが最大限可能となるような職場集団を作る必要があるのだと感じます。
白石先生の講演の冒頭で、糸賀一雄先生の著作集からの引用がありました。
あの糸賀先生でさえ、近江学園の園長として悩み、そして誰にも行き先を告げずに
一人旅に出たことがあったそうです。
およそひとつの仕事が歴史のなかでその位置を占めるためには、
なんとたくさんの要素がはたらいているものであろうか。
そこには、支えや協力だけではない。
若い芽をつみとろうとする暴力、悪意、ねたみなど、
人間的な、あまりにも人間的な臭気さえ立ちこめるものである。
そういう背景や環境のなかで、ひとりの人間が、そして多くの同志たちが、
戦い、結合を深め、支えあって仕事がすすめられる。
しかし、同志といわれ、内輪のものといっても、生身の人間である。
考え方や生き方の相異があり、発展がある。
喜びもあれば絶望もある。
われわれは何時も、はじめにもどり、めざすものは何であったか、
自らに問い、確かめあって、今日まで辿ってきたのであった。
糸賀一雄『この子らを世の光に』(『糸賀一雄著作集第一巻』NHK出版)より
めざすものは何であったか。よき仲間と共に考えていきたいです。
自己顕示ではなく、共感を軸にして。